Sunday, March 03, 2013

親鸞の苦悩の末に

guzekannnon後に浄土真宗の開祖となる親鸞は、若き日は比叡山の堂僧を務めていた。
しかし、彼は29歳の時、生死の迷いを断ち切ろうとして、比叡山を下りて京都の六角堂に百日の参籠をした。

比叡山における20年間の修業は、結局は彼の悩みを解決してくれなかった。

その六角堂の参籠の95日目の暁に、親鸞は夢で救世観音のお告げを受けた。
六角堂は聖徳太子の創建になる寺であり、従ってこの救世観音の夢告は同時に聖徳太子の示現であったのだ。

その夢告は次のようなことであった。
仏道修行者はインドや中国の人達と同じ条件では修行ができない。
日本の仏道修行者がもし 女犯(妻帯)の道を行おうとするのであれば、私(救世観音)が玉女の身となって犯されよう(妻となろう)。
そして、一生の間荘厳し(伴侶となって)、臨終に際しては極楽に導いてあげよう。

時に、1201年の4月5日であった。

この夢告により、親鸞は当時吉水にいた法然に入門した。
そして、自力の聖堂門の道を捨てて、法然の教える他力の浄土門の道に回心したのである。

親鸞は、後に結婚している。
恵信尼という妻がいたことは事実である。 

救世観音の夢告によって結婚した親鸞であるから、親鸞が妻の恵信尼を観音様の化身と信じていたことは間違いない。
恵信尼もまた、夫の親鸞を終生、観音様の化身と信じつづけていたのだ。
そのことを、彼女は夫の死後、娘への手紙で明らかにしている。

Sunday, August 29, 2010

優しい人

時はまさにワールドカップが始まったその翌日の出来事。

私は家内と昼食に出かけた。 時には美味しいそばでも食べようと、あざみ野まで出かけた。
天丼と盛りそばセットを我々は注文した。
待つこと15分、注文した料理が運ばれてきた。久々の天丼。味はおいしい。チョット疲れ気味の我々は食べることこそ大事なこと。
そのためにチョット太り気味。レストランではチョット変わった会話もできる。ともにオフィスで働いていると、なかなか話題が変わらない。そんな時には外食に限る。

我々が天丼を食べていると、私の後ろから、男性の声で、「いいでしょうか?」、と聞こえてきた。
私は、気にせずに食べていたが、話の内容で二人連れで、しかも、車椅子で来たんだな、と思った。
まもなく、店員に誘導され、我々とは通路を挟んだ隣ののテーブルにやってきた。
その瞬間、私はビックリした。親子連れで、男性は25~6歳。車椅子の女性は彼のお母さんらしく、55歳くらい。
その女性は、顔を少し上に向け、目はカッと見開いたまま動かない。
多分、脳梗塞かなんかで、半身、いやほとんどが不随状態。家内の話では、手でものを握ることはできたそうだ。
いずれにせよ、自分で何かが出来る状態ではない。
多分、母一人、子一人なのだろう。
日頃は、老人ケアサービスに頼み、土日は自分で面倒を見てやろうということなのだろう。

その青年は、背中にリュックを背負い、車椅子で母親を連れ出し散歩をし、昼になったので何か美味しいものを食べようと、レストランに入ってきた。。
青年は、母親に、「そば?天丼?親子丼?・・・」、と聞いていたが、母親は天丼を注文したようだ。多分、手で合図をしたか、少なくとも言葉は出なかった。
私達は、普通に食べて、普通に外に出た。
車の中での会話は当然、その親子のこと。特に、その青年のこと。素晴らしいと共に思った。ただひたすら、母親が喜ぶだろうということを考えている。
自分がどう思われようが、そんな事など構わない。
その会話の中で、男の私と全く違った家内の話が興味深かった。
自分が、ああなったら、息子の慎吾はあのように面倒を見てくれるだろうか?
また、娘の結婚相手は、あんな人がいい、と。
母親というものは絶えず自分と子供のことを、こんな風に考えるものなのか、とあらためて知った。
私は、どう思ったかというと、「あの青年は、いつかは必ず幸せになるだろう。立派なものだ。幸せになってもらいたい。」、と。
今日は、非常にいい気分になれた。

Sunday, July 02, 2006

身障者の服飾デザイナー

世の中には、私の想像していないことを、こつこつとやっておられる方がいるものだとつくづく感じた。

数日前のこと、私の知り合いが二人で私のオフィスを訪ねてきた。

実はこの二人も奇特な人である。

人間の尊厳を日夜追求している。
すなわち、寝たきり老人を何とか歩けるようにしたい。
ベッドに寝かせているだけで、老人を手厚く介護しているという発想が気に入らない、と怒りまくっている。

しかも、この4月から介護保険法の改正があり、介護そのものに対する予算も削減されてしまった。
もう人間の尊厳などといっておられない。

そんな二人が立ち上がった。
一人でもでもいいから、解ってもらおう。
そのためには勉強会を始めようというもの。
そこで、そのセミナーにぜひ出席してほしいということ。
私は、あまり期待せずに昨日行ってみた。

すると、そこには主催者側の三人プラス講師の先生しかいない。
私は5分遅れていったが、それにあわせてセミナースタート。

講師の先生は前田晃子(まえだてるこ)先生。
話を聞くと、この先生は身障者の方を外に出そう、と真剣に考えている。
身障者が外出できないのは、外出するための服がないことに気がついたという。

身障者には手や足が自由に動かせなかったり、腰が曲がったりで、そんな服などどこにも売っていない。
だから、外出できないのだという。
その先生は、10年前から自分のライフワークとして、いろいろな障害者の人の服をデザインしてきたという。
身障者の方が容易に切ることができるよう、スーツをバラバラに切り、その上で、ファスナーをつけていく。
また、老人などはオムツを変えられやすいように、洋服をデザインする。

前田先生の話を聞き、デザインしたズボンやスーツ、ワンピースなどを見せてもらううちに、これはすばらしいと思った。

前田先生はすでに60歳を超えておられる。
私のホームページで先生の作品を紹介したいといったら、残念ながら自分ともう一人が製作しているから、多くの注文は受けられませんという。

わたしは、前田先生のライフワークを皆さんで支援してやることはできないかと思っている。

まさに人間の尊厳である。

Saturday, July 01, 2006

保険のセールスマン

保険のセールスマンと聞くだけで、ちょっと胡散臭いと思いませんか?
今日紹介するのはそのセールスマンの高橋さん。
高橋さんは、会社のサラリーマンから脱サラし、自分でガソリンスタンドを経営したという。
しかし、これは石油価格の高騰で見事に失敗。そこで、見つけたのが保険の外交。
単に、保険会社に勤めるのではなく、代理店としてスタート。
今では10年以上のキャリアを持つベテラン。
この高橋さん、なぜこの仕事を一生懸命しているかというと、多くの人が、保険に入っているが、事故、病気、災害などで、保険の求償ができるにもかかわらず、やっていない人が多い。
そんな人にアドバイスをしたいんだと言う。
こんなことでは保険金は下りないと思っている人がたくさん。
保険の外交員、一度成約すると、もう顔を見せなくなる。
契約前はあれだけ来たのに。
そんな実態を見て、みんなのお役に立てたらと、日夜奔走していると言う。
なんでも相談していただければ、保険会社と交渉してあげますよ、と気軽に言ってくれる。
なぜ、保険の外交員は、みんなの保険求償を一生懸命しないんですかと、聞くと、
「それは、保険会社にとってマイナスであり、そのために自分の評価が落ちるんですよ。」
先日、明治安田生命があくどいやり方で、保険の勧誘をやっていたが、保険の実態は、多かれ少なかれ、そんなものだと言う。
だから、自分はみんなのために戦っているんだと言う。
この高橋さん、趣味は社交ダンス。ダンス暦は20年以上。
乙に澄ましている風貌だが、話してみたら随分楽しい人。
時間の経つのも忘れてしまうほど。もう一つの趣味は竹とんぼ。
月に何度か近くの公園に竹とんぼを作って飛ばしていると言う。
もちろん、子供たちにプレゼントをしたり、作り方を教えていると言う。
小学校にも呼ばれて指導に行っているという。もう、この歳になったんだから、みんなに恩返しですよ、と言っているカッコいいおじさん。
皆さん、保険のことでご相談がありましたら、esato@pocoaoba.com まで連絡ください。

マジー塩原は、町のマジシャン

マジー塩原は素人マジシャン。
マジックは5年前から始めたと言う。
私が会ったのはその頃だった。
私どもの、パソコン教室に生徒として入会してきた。
このマジー塩原の勉強の仕方はチョット違っていた。
今日は、このやり方を教えてください。
今日は印刷の仕方。
今日はメール、と、勉強のテーマは自分で決め、そのことを勉強したら、
「ハイ、今日はおしまい」、
と言ってお茶にする。
また、マジー塩原は地区センターで体操教室に参加している。
だから、身のこなしは見事なもの。
とても70歳とは思えないほど。
体操教室では人の面倒見がいいため、春・秋のバス旅行は自分で企画し、自分でチラシを作っている。
また、マジー塩原は中学校の同窓会、高校、大学の同窓会の幹事を務めているため、毎日が忙しそう。
その上、会社のOB会まで。まあ、これだけエネルギッシュに動けるものだろうかと思う。
もっと驚くことに、毎朝、ボランティアで老人を自分の車でケアプラザに送り迎えしているのである。
頭が下がる。
最近では手品も腕が上がり、老人会、子ども会、ロータリークラブなど、いろいろな所から声がかかっている。
私どものクリスマスパーティではいなくてはならない人。
それよりも、この人の素晴らしいところは気配り。
手品では、協力してくれる人にはチャンと粗品を用意する。
世話になった人にはチャンとお返しでもてなす。
私どものところにも、
「いやー、今日はシュークリームが安かったので、チョット買ってきた。みんなで食べようよ」
「うまそうな団子があった」
「暑いね、こんなときはアイスクリームがいいね」こう言ってさりげなく、置いていく。また、我々がチョット忙しくしていると、
「いやー、今日はチョット野暮用で、お茶を飲んでいけないから、失礼するよ」
と帰って行く。
気配りの素晴らしさとバイタリティには、本当に頭が下がります。

素晴らしき医者、白壁先生

私は、東芝の医用機器を輸出販売していた関係上、有名な医者に会う機会が多かった。
その中の一人に白壁先生がいた。
多くの人は、この先生の前に出ると、ボロクソに怒られていた。
みんなビクビクして、先生に会いに行く。
ところが、先生には眼力があって、たちどころに弁解がましい人間は怒鳴りつけられる。
私の場合は、なぜか違っていた。
最初から怒られることはなかった。
その白壁先生と4~5回海外旅行を一緒にしたことがある。トルコに行ったとき、昼の3時になると、
「佐藤さん、お茶にしませんか」、と言ってくる。
「佐藤さん、私にはチーズケーキをご馳走してくれませんか」、という。
チーズケーキを食べながら、
「佐藤さん、ここのチーズケーキはおいしい」、
といっていたのを覚えている。
この先生、ときどき、素晴らしいことを言う。
「佐藤さん、医者、芸者、役者はおんなじなんです。」
「みんな、演技が必要なのです。」
ある時、飛行機に乗っていたら、何やら、描いている。
「先生、何をしているんですか?」「ピカソの絵をまねて描いているんです。」
「ピカソは、立体を平面に表現するために大変努力した人なのです。」
「私も、レントゲン写真をいかに立体的に表現するかを研究しているのです。」
「ところで、佐藤さん、レントゲン写真を撮るのに何が必要かわかりますか?」
「フォーカスすることです。これは何にでも共通です。フォーカスしなければ何も見えません。」

脳梗塞をわずらった人が・・・

今日、横浜産業振興公社主催の会議に出席した。
テーマはコミュニティビジネス・シンポジウムである。
集まった人々は100名以上。
多くは50代から60代の男性。
また、30代40代の女性も沢山来ていた。
それぞれの思いは違うと思うが、 大半の人は、自分の生き方を真剣に考えている人々。
シンポジウムが終わり、30分の簡単な交流会に参加した。
そこで、一人の男性が近づいてきた。
話を聞くと、会社勤務の折、脳梗塞で倒れたという。
7年前の出来事。
自分はリハビリで運良く回復したという。
しかし、右半分の体は自分の思うように動かないという。その人が、何と介護の勉強を始め、今では介護の資格を取り、 NPOでデイケアを始めたと言う。
世の中にはすごい人がいるものだと思う。